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草と言葉

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博士の愛した数式

小川洋子さんの「博士の愛した数式」を読んだ。
たいへん評判になった本だが今まで読んだことがなかった。
記憶が80分しか持たない博士は、人とふつうに関係を持つことができない。
友達になっても80分後には忘れてしまうからだ。
しかし、家政婦の私とその子供「ルート」は博士と友達になった。
数学博士である博士は数式の美しさを人に伝える天才であった。
数式を通して人と人とがつながるなんて考えたこともなかった。
この本を読んで二人の恩師のそれぞれのことばを思い出した。
一人は高校生のころ英語を習っていた先生だ。体をこわして定職についていなかった父親ぐらいの年齢の人で、芸術にも文学にも造詣が深く、英語というよりも文化というものを教えていただいていた。「数学ほどロマンチックで美しいものはない」と言った。数学嫌いだった私は、その言葉を聞いても「??」だった。この本を読んでその言葉の意味がはじめてわかった気がする。
また、大学のときの恩師は「自分は遊びは嫌いだ。(たぶんこの遊びはこどもの遊びではなく、マージャンとかカラオケとかパチンコとかを指していたのだと思う)実質的に役に立つから。」と言った。
数式の美しさは実際の役には立たない。どんなに見事に問題をといてもそれだけのことだ。でも人はそれを求めずにはいられない。そしてその喜びを共有することで人と人はつながれる。それは案外忘れてはならない基本的なことかもしれない。
子供はこうした喜びを求めているのだろう。実際に役に立つことばかりに目がくらみやすいのはきっと大人の方なのだろう。
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# by nabana05 | 2005-10-09 06:27 | こども

夏から秋

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写真はカライトソウ。日本海側の山地に生える。花期8~9月。撮影八方尾根

蝉ほおりいたずらっ子が駆け過ぎる


あいさつの笑顔やわらぐ秋近し


蜩の声降る水面森映す

 
いざ行かん9月1日ペダルこぐ


制服の首より上は夏休み


さわさわと梢の先まで秋の風
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# by nabana05 | 2005-09-18 06:10 | 季節

青い月

青い月を見た。
台風が日本海を通過した夕方、。上空には灰色の雲が表面を細かく波立たせていたが、西の空は雲が切れて不思議な深い青空で、そこだけ遠い世界のようだった。雲が吹きちぎられたかのように浮かんで金色に輝いていた。
三日月が出ていた。薄い雲のベールの向こうにあったが、それは雲の輝きのためか、水色をしていた。神秘的な感じがした。
「青い月」に関することばがないか探してみた。ネットで調べるとウェッブページの題名にしている人も多い。詩や小説の題にも多い。石原裕次郎の歌にもある。「青い月だよ 今宵の月も  離れ小島のあの娘が見たら きっと睫毛をぬらすだろ」というわけで、「青い月」とはたぶん冴えて輝く普通の色の月をさす言葉なのだ。
英語で「Blue Moon」というと「めったに見られないもの。そこから転じて一月に満月が2度きたときの2度目の満月」らしい。これは他にも説があるようでもう少しよく調べた方がいいかもしれない。
ともかく、私がみたような「青い月」に関することばはまだみつかっていない。
ただ、新しい言葉を見つけた。「黄昏月 黄昏どきに西の空にかかる細い月のことで月例三、四日の月をさします。」(『宙の名前』林完次より)
写真を撮ったがもうだいぶ時間がたち、普通の夕空であった。月も白くなっていた。e0047581_55074.jpg
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# by nabana05 | 2005-09-09 05:50 | 季節

俳句の入り口

 藤田湘子氏の「俳句の入り口」(NHK出版)を読んだ。
 読んでいる途中で藤田氏が亡くなられた。
 この本を読むまで、名前に聞き覚えがあるという程度の認識であったのが、悔やまれる。
ぜひ、テレビなどで凛とした言葉を聞いてみたかった。
 俳句をはじめて3年~10年ぐらいの人を対象とした、ということで、藤田氏の考えるよい俳句とはどのようなものかが、名作の味わいとともに胸に響く。
 俳句は韻文であり、リズムこそ命である。しかし、最近は意味優先の理屈ばかりの句ばかり、ということを憂いていて、その危機感が切迫したものに感じられた。
 冒頭の章にある段落が印象的である。
「(俳句らしい俳句とは)散文の切れっ端の五・七・五ではなく、堂々たる韻文の作ですよ、と言いたいのです。この十句、じっくり読んでください。ただ読むだけでなく、声を出して朗誦してみてください。韻文のこころよいリズムが胸中を駆け巡るはずです。そして、俳句作品そのものが眼前に立ってくるはずです。快適な立ち姿です。立ち姿の美しい俳句を作りたいものです。」
 俳句を読むと目の前に情景が浮かび、その情景に自分がひたっていることがある。
 まさに「立ち姿」である。

 「切れ」「点と線」など「立ち姿」を持つ句のためのポイントが実感をともなってわかる。
 この「ああそうか」という実感は豊富な名句の例と添削例による。平凡な言葉のつながりが添削によって芳香を発することばとなる。うーん、とうなってしまう。添削の理由が明確なのも勉強になる。

一例だけあげると…
 「草萌えの気配濃くなる雨二日」
→「草萌えを促す雨や庭の石」
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# by nabana05 | 2005-08-29 16:04 | 季節

芋嵐

台風11号で風雨が激しい。静かかと思うとゴーという音がかなたからして大風がくる。
台風などをあらわす季語にはどんなものがあるか。
「台風」「颱風」はもちろん季語。季節は秋である。
「二百十日」というのもある。
古くから用いられた語は「野分」。台風をふくめて秋の強風はすべてこれを用いた。
草が野を分けて吹く風。きっと風の走るのが見えるのだろう。
木の枝のゆれ、電線のうなり、ビル風。強風と言うと都会ではまずそういうイメージが来るが、かつては野の草を吹き分けるイメージが強風を表していた。
「芋嵐」という語もあった。これは台風とは特に限らないと思うが、里芋畑に吹きつける風をいう。一面の里芋の葉。大きな葉がうねり、裏返る様を季語にしたのである。
大きな特徴ある葉だからこそ、きっと動き方も面白いのだろう。小さい頃から里芋畑を見ている人だったら、「そうそう、あれね。わたしも見るの好きだった」となるのだろう。
季語はかつての人の自然感覚の宝庫だ。
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# by nabana05 | 2005-08-26 05:18 | 季節

ハエドクソウ

ちょっとこわい名前である。
ハエドクソウ科、ハエドクソウ属、ハエドクソウ。世界に一科、一属、一種。
東アジアと北アメリカ東部に遠く離れて分布している。
このようなちょっと変わった植物だが、林の中などでときどき見かける。
図鑑によると「根のしぼり汁でハエ取り紙をつくったところからハエドクソウ、ハエトリソウと呼ばれている」〈日本の野草・山と渓谷社)ということである。
根に毒がある毒草であることはわかったが、私の頭には幼いころ八百屋の天井からぶらさがっていたベタベタツヤツヤした蝿取り紙が浮かんできた。あれにこれが使われていたのか?
なんかおかしい。と思いつつウェッブページをさまよっていて次のようなことがわかった。
①いわゆる「ハエ取り紙」は商品名を「リボンハイトリ」といって現在生産メーカーは一つである。
②今は主に東南アジア向けだが、食品工場では国内でも需要がある。
③この会社は数年前に祭壇に大きなハエの遺影をかざりハエを供養した。
(泉麻人・消えた日本)
④かつてのハエ取り紙は食品の下にこのハエドクソウの毒を染み込ませた紙をおいたもの。
 またはごはんと練り混ぜて使った。
⑤それを間違えて人が食べてしまって中毒になる、という事故もあったらしい。
どのくらい実際に利用されていたか、量的なことはわからないが、かつては日常生活に生かされていた植物だったらしい。
写真は井の頭公園e0047581_5235211.jpg
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# by nabana05 | 2005-08-25 05:24 | 草と木

よみがえれ!テレビ脳っ子・ゲームっ子

安藤修平 著

国語科の授業が成立しないケースが増えてきている。幼いころからテレビ・ゲームを長く視聴することでこどもの脳が変化しているのではないか、という仮定に立ち、そのこどもたちの変化に合わせた実践とその原理をわかりやすく述べている。
あくまで実践家として現状に合わせた指導法を伝えるために書かれたものであるから、原因を問うことは副産物のようなものである。極端な話、テレビ・ゲームが真の原因でないにしてもいいのだと思う。イメージ優先・見かけが大切・言葉は聞こえているが意味内容が理解されていない、などの特徴は今そこにいるこどもたちの現状である。
導入・バイパス・伝えるといった実践の工夫。乗せる・盛り上げる・落とす・伝える、といった指導過程の考え方はこどもの言葉の現状に合わせる新しいものであるとともに、授業者自身が体で覚えていく感覚を理論化したものだと感じた。
また、「全体の景色」「個の景色」でわかりやすくこどもを評価する方法をいくつも示している。
たいへんといえばたいへんな作業だが、できるだけ簡略にみやすくひとりひとりをとらえようとする工夫がすごい。
読み終わると真にこどもの立場に立つということの尊さに感動を覚える。
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# by nabana05 | 2005-08-18 06:51 | こども

夏の句

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五月雨やふくれっつらで傘さす子


短夜や何を怒りて夢見る子



梅雨の駅夕陽重たく浮かびけり


五月雨やまたひとつ葉をゆらしけり


すずかけの托葉光る夏来たり


白南風や背筋伸ばしつ闊歩する



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# by nabana05 | 2005-08-13 06:42 | 季節

チダケサシ

チダケサシという山野に生える草がある。以前見たことはあるが、記憶もおぼろげであまり印象に残っていない。夏に白い小花を多数つける地味な野草である。
奥鬼怒のみやげもの屋で夫が干しチダケを買ってきた。チダケとは「乳茸」のことで、大ぶりのきのこである。傘の下を触ると白い汁がぽたぽたと出るのでこの名がある。前に山で見たときは、おいしい、と聞いていたせいか、傘の上のやわらかな茶色と裏の白さとが気高く思えた。しかし残念ながら食べたことはなかった。
全体に濃い茶色となった干しチダケはあんまりおいしそうには見えなかった。夫がネットで調べて「チダケソバ」をこしらえてくれた。ナスをいためて、もどして細切りにしたチダケと煮て漬け汁を作る。それにそばをつけながら食べるのである。とてもおいしかった。さすがチダケと感心した。
「チダケサシ」はチダケを刺して集めるのに使ったことからついた名であるという。
よほど茎がかたいのだろうか。茎で刺してきのこを集めるのが一般的な方法だったのか。「チダケ」のそばに「チダケサシ」があることが実際多いのか。この名からいろいろな疑問が湧く。
ともかく、集めるための草にその名がつくぐらいおいしい茸だ、ということだろう。
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# by nabana05 | 2005-08-12 11:19 | 草と木

狼山

「狼山」というお酒を買った。上品な味わいの香りのよい酒だった。
秩父の三峰神社には狛犬の代わりに狼がいる。
江戸時代には農地の害獣を追い払うとして、「お犬様」と呼ばれる山犬信仰が広まったらしい。
神社の裏にお酒の出店があり、そこで「狼山」を買ってきた。
今はもう一匹たりともいない山犬。だから安心して登山もできるのだが、かつて恐れ、また一方ではあがめながら人々がおおいに意識していた存在が消えてしまったということはなんとも空しい。
三峰神社の狼たちはピッと背筋を伸ばしてすわり、夏の日差しを凝視していた。
ミヤマカラスアゲハやスミナガシが舞うことはあっても仲間の遠吠えが聞こえることはない。
山犬の声の聞こえる山はどんなものだったろう、恐ろしく近付きがたいものだったろうか、それとも生き生きとした命のうごめきを感じられるものだったか。
「狼山」を味わいつつ、かつての山の声を想像してみたい。
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# by nabana05 | 2005-08-12 06:18 |