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草と言葉

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最近思うこと


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最近いつも心のどこかで
原発のことがひっかかっています。

CO2を出さないということで
温暖化によいというような宣伝がされ
「原発はこわいけど仕方ないのかな」
と容認するような気持ちになっていました。
若いころ、原発を見学する機会があり
そのときあまりに「安全だ」ということばかり
書いてあるパンフをもらい
「これは変だぞ」と広瀬隆さんの本などを読んでいたのに
その思いはいつの間にか風化していました。
この鈍さで環境に関心があるなんて
おこがましくて言えません。

原発から20キロ圏内は立ち入り禁止となりました。
一生戻れない、と覚悟している方もいらっしゃるようでした。
土地を家を田畑を作物を家畜をペットをふるさとを
置き去りにせねばならない人の無念を
なんとすればいいのでしょう。
その人たちの犠牲の上に電気を使っていたのだと思うと
やりきれません。
今も私は他の原発からの電気を使い続けています。

今、福島の方たちのために支援するなど
具体的にできることはいくつかあるかもしれません。

でも、原発がある限りこの構造は変わらない。
ある人たちを危険の中に置いて
都会の便利さが成り立つ、という。
そして、そうした生活を享受する限り一人一人にも
責任が生じる。
経済構造の中で遠い世界の誰かの犠牲の上に
先進国の豊かさがあるという構造は常にありますが
そういうことと次元が違う気がします。
すぐそばの誰かを生命の危険にさらす。
恩恵を享受している人間は危険が少ない。
それが原発なのだな、と感じました。

では原発のない世の中、というのは可能なのでしょうか。
朝日新聞(14日GLOBE版)にフランスの記者の言葉が載っていました。「原発をやめるなら、消費文化を転換し、社会観を変える必要がある。いずれ人類が直面する問題なのだから今その選択をしたい」とありました。フランスは8割以上の電力が原子力なので、切実な問題だと思います。それにしてもどんな「社会観」を持てばよいのだろう。消費文化というのは「もっと便利に」「もっと安く」という文化だろうか。

現在も、企業がcsrで環境問題を取り上げることがあたりまえになるなど、「便利に」「安い」以外に「地球にやさしい」という価値観が加わっていることは確かです。ここ10年くらいの変化でしょうか。ただ、原発の無い世の中を目指すというのは、得たものを手放すこと。
何をどのように手放せばいいのだろう。自分の生活をどのように変えていけばいいのだろう。

福島の人達の怒りから目をそむけずともかく見つめなくてはと思っています。
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by nabana05 | 2011-04-23 05:43 | その他
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